応援コラム

わずか3年で保険セールスのトップになった 営業経験ゼロのシングルマザーが明かす6つのこと。

わずか3年で保険セールスのトップになった営業経験ゼロのシングルマザーが明かす6つのこと。

吉澤 由美子(1966年島根県生まれ)

学歴なし、職歴なし、つてなし、コネなし、お金なし、もちろん営業経験もなしの、ないないづくしのシングルマザー。2人の子どもと2,000万円の借金を抱えて途方に暮れるが、持ち前の明るく素直で能天気な心と、子どもたちへの愛情を力に、保険営業に挑戦。わずか3年でトップセールスに上り詰め、借金完済。子どもたちを2人とも県外に進学させ、独立してコンサル会社を立ち上げた頑張りお母。口ぐせは「ラッキー!」と「ワクワク」。

 

プロローグ:36歳子持ちのシングルマザーが世間に放り出される 
      「もうやるしかない!」
・25歳で結婚→家業の倒産→借金→そして離婚…の転落ストーリー

36歳で2人目の子どもを出産、めでたく退院するという日の前夜。お酒に酔って喧嘩をした元夫は警察に連行され、私たち親子を迎えにきてくれることはありませんでした。病院への支払いができず、急遽友達にお願いして立て替えてもらうという散々な人生のスタートを切った息子も今年18歳。大阪のIT専門学校に進学しました。

 

私は、学生時代から8年の交際を経て25歳で結婚するまで、元夫の家業を手伝ったりアルバイトをしたりする程度で、まともな社会経験が無いまま家庭に入り、その後長女を出産。しかし幸せな生活は長くは続かず、5年目頃から商売がうまくいかなくなりました。加えて銀行の貸し渋りもあり家業は倒産、膨大な借金だけが残りました。

 

その後、私たちは小さな賃貸アパートに引っ越しましたが、水道料金さえまともに払えないような生活となりました。夫の名義だけでは枠が足りず、私名義の借金も増えていきました。私は実家からの援助を受けながら幼子を抱え、朝早くから夜遅くまで色々なパートで働きました。夫も商売の再起をかけて頑張っていましたが、ことごとく上手くいかず、長男が生まれたばかりだというのに段々と家族から心が離れていってしまったのです。

 

…そして離婚。

 

私は子どもたちを連れて実家に帰りましたが、私名義の借金額は2,000万円。これを返しながら子育てをしていかなければならないけれど、アルバイトで介護の現場で働いていた私は食べていくのがやっと。借金はせいぜい利息分くらいしか払えません。

 

まさか自分がこんなことになるなんて…正にお先真っ暗。

 

・誰にも打ち明けられない「孤独な葛藤

離婚は自分で決めたこととは言え、その最終的な決断までは随分と悩みました。理由は子どもたち。この可愛い子どもたちから父親を奪っても良いのか、私がもっと頑張れば何とかなるんじゃないか、私さえ我慢すれば良いんじゃないか、そんな想いが頭の中をグルグル巡る毎日。加えて、実家に出戻るのは色々な意味で肩身が狭い。元々、実直なサラリーマンだった両親は商売人との結婚に反対でした。しかも、両親に保証人になってもらった借金も残ったままだし、今さらどんな顔をして実家に帰れようか…。

 

そんな私たち親子を何とか受け入れてくれた両親と5人の同居生活がスタート。同時に私も就職活動を始めるものの、生まれて間もない赤ちゃんを連れての就職は非常に厳しいものでした。おまけに年齢も36歳、取り立てて自慢できる学歴も経験も資格もなく、不採用通知ばかりが届く毎日に、さすがの能天気な私も相当落ち込みました。

 

・心に灯った小さな希望

見かねた母が、私の誕生日プレゼントに買ってくれたのが「カメラ付き携帯電話」。暗くふさぎ込んでいる私に、

 

「貴女はお母さんでしょ。子どもたちに明るい笑顔をみせないと!このカメラで可愛い子どもたちの写真を撮って元気出しなさい。」

 

と言って励ましてくれました。この日のことはいまでもハッキリ覚えています。迷惑ばかりかけているにもかかわらず、こうして背中を押してくれた母の存在はとてもありがたかったです。

 

それからと言うもの、毎日子どもたちの写真を撮っては眺めて少しずつ元気を取り戻した私は、就職活動を再開。何でも良いから就職先を探そうと安易に考えるのはやめて、これから息子が大学を卒業するまでしっかりと稼げる人間になろうと決めました。この先20年以上働く(会社から必要とされる)ためには、時間と労力さえ提供すれば誰にでもできるパートやアルバイトではなく、専門的な知識や能力を身につける必要があります。この年齢で勉強か…と不安にも思いましたが、もはややるしかありません。

 

どんなことがあっても自分の力で生き抜いていけるたくましいお母さん…子どもたちに、「このお母さんで本当に良かった!」と思ってもらえる…そんなお母さんになりたい!そう心に誓ったからです。

 

1.普通の主婦をトップセールスにする営業マインドのつくり方
・なぜ営業経験ゼロの主婦に飛び込み営業ができたのか?

10社以上の面接に落ちる中で思ったことは、単純に「履歴書に書くことがない」ということでした。アピールできることが何一つない。面接までこぎつければその場を取り繕うこともできたでしょうが、書類選考で落とされることがほとんどだったので、それも叶わず。

 

専門的な能力を身につけよう、そう思ってはみたものの、今さら自分にできることって何があるのだろうか?とふらりと立ち寄った本屋さんで「ファイナンシャルプランナー」という資格があることを知りました。自分が目指す人生設計をしっかりと考えて、そこに金銭的な根拠を持たせる「ファイナンシャルプランニング」という考え方は、その時の私にこそ必要な知識、これだ!と思ってテキストを買って帰りましたが、最初の数ページだけ見たところですぐに断念。この資格を取るには相当の勉強が必要だと思ったし、そもそも出てくる言葉の意味が全く理解できず、何年かかっても合格できるイメージが持てなかったのです。

 

現実は厳しい…と思い知らされたのでした。

 

そんなある日、近所の保険代理店の求人を見つけました。職種は「受付事務」、しかも書類選考なしでいきなり社長面接だったこともあって、何となく良い流れでそのまま合格!採用となりました。ラッキー!やっと就職が決まりました。心配していた家族も喜んでくれてほっとひと安心、みんなのために頑張るぞ!と張り切ったのもつかの間。

 

入社してみると、「受付事務」の仕事はほとんどありませんでした。来客があるわけでもないし、電話もほとんど掛かってこない。あるのは前任者が残した契約の継続手続きくらいで、一日中事務所にいても時間を持て余すのでした。ある日、社長の奥様に思い切って聞いてみることにしました。「受付事務っていりますか?」と。

 

すると返ってきた答えは、「本当は営業が欲しいんだけどね、営業募集って書いても誰も応募してくれないでしょ」というものでした。え?マジ?そうなんですね。

 

こうして私は望まない形で保険営業という仕事に就くことになりました。1カ月間の研修が終わると、早速近所の飛び込み訪問から始まりました。なぜか社長の奥様に気に入られた私は、奥様の指導のもと毎日飛び込みを繰り返すのですが、お客様の露骨な態度(帰れ、必要ない)に心が折れました。なぜ私がこんな想いをしないといけないのか…段々と、玄関のベルを押す時に「留守でありますように!」と思うようになっていったのです。

 

しかし、奥様の態度は真逆です。保険という商品の必要性を本当に心から感じていて、この仕事に誇りをもっているというオーラが全身からにじみ出ていて、いつも胸を張っていらっしゃいました。「みんな、保険のことを分かっていないから、私たちプロが教えてあげるのよ」と、ニッコリ笑う姿に何か感動みたいなものを感じ、私がぼんやりと描いた「専門的な知識を持って、自分の力で稼ぐ」仕事はこれなのかもしれないと思いました。

 

・見込み客が向こうからやって来る“吉澤流”集客法

毎日の飛び込み訪問に疲れを感じ始めた頃、少しアプローチの方法を工夫してみようと考えました。当時は、保険会社が作成するパンフレットは何部でも無料で入手できたので、これを近所の住宅に片っ端からポスティングして、店頭に相談に来てもらおうと考えたのです。そこの代理店は、今では当たり前になっている「窓口で保険に加入する」というスタイルの先駆け的な取り組みをしていたにも関わらず、ほとんど認知されていなかったところに目をつけたのです。

 

最初は手当たり次第に配っていましたが、1カ月1,000件配布を目標にしていたので、これでは到底目標に辿り着きません。そこで、途中から団地や集合住宅を中心に回ることにしたのです。短時間にたくさん配ることができ、もしも見込み客ができた時には口コミや紹介が期待できると思ったからなのですが、こちらが思うほど簡単には問合せは来ませんでした。最初の3カ月間くらいは月1,000件配ってせいぜい12件電話がかかれば良い方でした。でも、この代理店の中で毎日ポスティングをしている社員は私だけだったので、いつも社長が応援してくれていました。初めて問合せの電話が掛かってきた時も、とても喜んで朝礼で紹介してくださったほどです。その期待に応えるためにも、何か工夫をする必要がありました。

 

そこで、今度はパンフレットに手書きのメモをつけることにしました。市内の団地をグルグル回っていると、団地ごとの特徴が目に入るようになってきて、例えば「この団地は高齢者が多くて昼間の在宅率が高いな」とか、「ここは小さな子どもがいるファミリー層が多いな」「ここは駐車場にわりといい車がとまっているな」などです。その特徴ごとにメモの内容を工夫し、高齢者層には医療保険や傷害保険、ファミリー層には所得補償保険や学資保険、高級車が多い団地には車の当て逃げを補償する保険などのパンフレットを配布し、「毎週2回、無料相談会をやっています」と書き加えると、少しずつ問合せが増え、3か月後には毎週2回の無料相談予約がほぼうまるようになっていきました。お客様の顔を思い浮かべてラブレターを書くような気持ちでメモを書いたことがポイントだったのかもしれません。

 

そうして相談してくれるお客様が増えてくると、次に考えなければならないのがその人達との契約率をいかに上げるか?ということになります。チラシを見て一度は相談に来てくださっても、ほとんどの人はその場ですぐに契約にはなりません。大半は「一度持ち帰って検討します」となり、時間が経つと気持ちも冷めてしまってタイミングを逃してしまいます。契約に至らないともちろん私たちも困りますが、せっかく真剣に自分たちの生活について考えたお客様にとっても残念なことです。

 

そんなお客様の興味が薄らぐことなく、しかも私たちのことをもっと知ってもらって信頼してもらうためにはどうしたら良いか…?と考えた末、「お金のことや保険のことがわかる情報誌をつくって送ろう」と思いつきました。今ならアプリを使って簡単に顧客登録ができますが、当時は住所や名前、電話番号を書いてもらうのは大変で、そのためにはお客様に喜んでもらえる情報の提供が必要だったのです。

 

情報誌も初めはA4サイズでスタートし、それでも書くのに1日がかり…何せ文章なんて小学校の作文以来でしたから。それでも慣れてくると、保険の話題以外に、地域のイベントや最近読んだおすすめの一冊、私たちスタッフの自己紹介など内容を充実させていきサイズもA3両面に拡大、お客様も楽しみに読んでくださるようになりました。この情報誌を定期的に送っていたおかげで、久しぶりにお会いするお客様とも会話が弾み、安心して契約してくださるようになりました。こうして毎月郵送することで、多少のコストはかかりますが、紙のかたちをした営業マンが月に1回顔を出しているのと同じかそれ以上の効果があるな、と感じました。

 

・FP相談会で見込客を20倍!わずか3年で支店長に!

店頭に来るお客様が増えると、それに伴って相談内容も多岐にわたってきます。最初は医療保険について、学資保険について、といった保険商品そのものの相談や他社比較が多かったのですが、そのうちに、「結婚したので保険全般の相談をしたい」「子どもが生まれたので保険の見直しがしたい」といったご相談も来るようになり、例えば、一家の大黒柱の保障を考える時には遺族年金の質問が、子どもが生まれた時には将来必要になる教育資金の質問などもくるので、私たちにもっと幅広い知識が求められるようになってきました。これは、お客様が私たちを信頼してくださった証拠で、大変ありがたく感じました。と同時に、自分の力不足を情けなく感じて、何とかこのお客様たちの役に立ちたいと思うようになりました。

 

そこで思い出したのが、入社前に一瞬で諦めた「ファイナンシャルプランナー」の資格です。あれをしっかりと勉強すればきっと役に立てる!そう思って再度挑戦することにしたのです。そうは言っても、昼間は仕事、家に帰れば小学生の娘と幼い息子の世話に追われ、勉強する時間は子どもたちが寝てからのわずかな時間です。学校に通う余裕もありませんでしたから全て独学、どうしたら効率良く覚えられるのか?自分なりの勉強法を見つけ出すのに時間がかかりました。初めは、テキストを読んでしっかり覚える、覚えてから問題集を問いて間違ったところを復習する、というやり方でしたが、これでは試験日までに全科目終わらない…と焦った私は、初めに過去問をやり、間違ったところだけテキストを見てノートに書き写す、という方法に変えました。これを繰り返していくと、ほとんど毎回同じ問題ばかり間違えることがわかり、そこを徹底的に勉強するようにしたところ、見事試験には一発合格!社内でも唯一の資格保持者として高く評価されました。

 

これをきっかけに、店頭での相談だけでなく、商工会議所などで定期的に「FP相談会」を行なうことになり、多くの見込み客を集める仕組みづくりに成功しました。ポスティングを始めた当初は月12件の問合せがやっとでしたが、この時には20件を超える相談を受ける店舗に成長、この年、私は入社3年にして支店長に任命されたのです。スタッフは5人ほどの小さな支店でしたが、何もないところからのスタートだった私にとっては、本当にありがたいことでした。可愛い部下にも恵まれ、次は何をしようか!と張り切っていました。

 

しかし、それから間もなく娘が体調を崩し、泣く泣くこの代理店を退職することになります。苦渋の決断でしたが、私にとっては命の次に大切な子どものこと、どうしても優先させたかったのです。私にとって、この保険代理店での3年間の経験はその後の人生を大きく変えてくれました。私が母としてたくましく実社会で生きていくためのパスポートを手に入れることができたのですから。

 

おかげさまで娘は1年弱の療養の末、元気に復学でき、私も再び就職活動を…と思っていたところへ「貴女のことを探している人がいるわよ」という一本の電話が。それは、前職での私の活躍を知って探してくれていたAIG損保代理店の社長で、法人向けにFP相談を始めたいと考えていたそうです。法人営業の世界はまたゼロからのスタートですが、前の3年間の経験のおかげで、この後、自分でも驚くようなスタートダッシュを決めることができたのです。

 

2.法人営業に転身!
  初契約で160万円の大型保険を獲得した方法とは?
・初対面の相手がつい情報を出したくなるアプローチ法

AIG損保代理店に入社した私は、まずは2カ月間の集中研修を受けました。2週間、トレーニングセンターで研修を受け、次の2週間は現場に出て飛び込み訪問。これを2カ月繰り返しながら卒業までに見込みをつくるという超実践的な研修です。後半2週間の飛び込み訪問では、着座面談アポや証券回収の目標が設定され、一緒に研修している仲間と競い合うというものでした。「常に数字で評価される」という環境はプレッシャーでもありましたが、一種のゲーム感覚で楽しむことで落ち込むことなくクリアできました。その時の同期は8人、全て男性、しかも20代~30代のパワーが有り余っている人たちばかりです。片や40を超えた子持ちのおばちゃん、不利な材料は多かったのですが、余計なプライドが無い分、なりふり構わず飛び込んでお願いして歩いたので、結果、毎回上位に入ることができました。前職の飛び込み営業経験は大きかったですね…この時初めて過去の経験に感謝しました。

 

証券の回収枚数は契約に至るまでの重要な目標数値のひとつで、「契約を取りたければ1枚でも多く回収して来い」と常に言われていました。訪問件数・面談数も大事ですが、既に加入している保険証券のコピーをもらうことができれば、より現実的な提案につながるからです。

 

しかし、ふらっと来た保険営業マン(しかも見るからに素人のおばちゃん)がそう簡単には証券コピーをもらえるはずなどありません。何度も足を運んだり、丁寧な説明を繰り返したりすることで担当者の信頼を得るという気が遠くなるような地道な活動の繰り返し。ただ、ライバルとの競争がかかっていますから、呑気なことばかりも言っていられませんでしたので、時には強引に迫ることもありました。その時は、こんな風に言ってみました。

 

「今、研修中なので、110社の保険証券を見せてもらうよう上司から言われています。見せていただくだけで結構ですのでお願いできませんか?」(そして、見せてくれたらついでにコピーをもらう)とか、「今日はあと1枚いただけないと会社に帰れないんです。決してしつこい提案はしませんから、何か1枚いただけませんか?」などです。今の若い社員に教えても絶対にやりませんが、当時はこれでかなりの数を集めることができました。特に大きな会社の担当者ほど丁寧な対応をしてくださる方が多く、随分と助けていただきました。

 

そんなこんなの研修期間を終え、いよいよ本格的な営業がスタートです。既に何件か見込み先はつくってはいましたが、これからはいよいよ契約に向けた動きをしていく必要があります。担当者レベルのアポイントでは成約につながらないので、より上位の方(決定権を持った方)とのアポイントを取る必要があります。この時に大切になるのが、担当者との信頼関係です。担当者との関係が良好だと、上につないでもらえる確率が各段に上がるからです。そのためには、飛び込みやテレアポの段階から丁寧で誠実な態度を心がけ、「人として」信頼してもらっていることが大事だと考えています。日頃から身なりや言葉づかいには大変気を使いましたし、約束の時間に絶対遅れないよう10分以上前には近くで待機していました。また、担当者の好みや悩みもさりげなく聞き出して、喜んでいただけそうな情報を持って行く、といった努力も人知れず重ねていたのです。(不動産投資に興味があると聞いていたある会社の課長のために、何件も不動産屋を回って資料を集めたこともありますし、競合の様子を知りたがっていたある住宅メーカーの係長のために一般のお客さんとして住宅展示場を何軒も回ったこともありました)

 

・上辺だけの営業手法は経営者に通用しない… 思い知らされたこと

そして、この代理店に入社したと同時に始めたことがありました。それは、「経営者と会った時にちゃんと会話できる自分になる」ための勉強です。前職では、個人のお客様ばかりで、当然、提案する保険も個人向け。しかし、今回は法人営業なのでお会いするのは会社の担当者。中小規模だとほとんど最終決裁は社長なので、契約を取る=(イコール)社長と面談をしてOKをもらうということになります。その時に、保険の話しかできないとなると、多分、良い関係性が構築できないだろうと考えたからです。

 

実際に、飛び込み訪問を始めて間もない頃、たまたま社長が出て来て、たまたま時間があるから「どうぞ」と言って応接室に通されたことがありました。普段から断られる前提で歩いている私にとって、急に社長と面談という場ができるのは正直困りました。何を話せば良いか分からないし、質問されてもきちんと答えられる自信もない。その社長はとても温和な方で、私の仕事の話や保険に加入することのメリットなど、しどろもどろでもしっかりと聞いてくださったのですが、私は肝心なことに答えることができなかったのです。それは…

 

「なぜうちの会社に必要だと思われましたか?」

 

という質問です。新人時代の飛び込み訪問と言えば、エリアだけ決めてとにかく順番に回っていくだけで、特に「この業種のこの規模であれば…」とか、「この会社なら…」といった特別な提案をしようと思って回っているわけではないので、答えられなくても当然なのですが、何だかすごく申し訳なく感じて、適当に言葉を濁してその場を逃げるように立ち去りました。

 

帰り道の車の中、重く沈んだ心で、「新人」が通用する間にこの壁を越えなければ早い段階でつまずいてしまう、社長と面談した時にきちんと話ができる自分にならなければ!と危機感を感じたのでした。しかし、そこで思い出したのが結婚していた当時の家業のことです。結果は失敗に終わってしまいましたが、私も家族であった間はその苦労を間近に見ていました。商売がうまくいっている時には、様々な勧誘・誘惑があります。例えば、銀行からは望んでもいない融資を持ち掛けられたり(その後、本当に必要になったら簡単に断られましたが…)、証券会社や保険会社から資産運用的な商品を勧められたり、良い儲け話(?)的なあやしい話が次々と舞い込んだりしました。一方、商売が傾き始めると、今度は家賃や仕入れなどの支払いや従業員の給料の心配、売上をいかにしてあげるか?といった切羽詰まった悩みがひと時も頭を離れることがない生活。今思い出しても、よくやったな~とつくづく思います。

 

その当時、私にももう少し知識があれば夫の力になれたでしょうが、何の知識も無かったために家族全員堕ちて行くしかありませんでした。今ならどこかの会社の社長の役に立てるかもしれない、そこの社長や社員の家族の力になれるかもしれない、そんなチャンスを頂いたんだ!…そう思って一から勉強を始めました。簿記から始まり、経営診断士やファイナンシャルリスクコンサルタント、キャリアカウンセラー、確定拠出型年金、証券外務員など、経営者の役に立ちそうな勉強を片っ端から始めました。それまで持っていたCFP資格を含めて12の資格すべてを取得するまでには約4年の月日がかかりましたが。

 

・地道にコツコツでは達成できない… 大型契約を狙おう!

そういった地道な努力を続けていると、ありがたいことに少しずつネタは増えていきましたが、初年度の新規契約目標は500万円、次年度は1,000万円です。当時の自分の自動車保険の年間保険料が5万円ほど、最初に提案した会社の傷害保険が年間12万円ほどでしたので、本当に達成できるの?…と、気が遠くなるような数字です。しかも、損保以外に生保の目標と既存顧客のフォローもあるので、新人にはなかなかのハードルでした。

 

そこで、11件地道に頑張るだけではダメだと考えを切り替えて、団体契約を中心に攻めることにしました。(団体契約とは、同業者の団体に所属する従業員などを対象にして、企業や団体が契約者となって締結する契約のことです)保険料の割引があったり、団体に事務費が支払われたりするなど、お互いにメリットがある契約方法です。当然、他代理店も考えることは同じなので、そう易々とはいきませんが、どこかに突破口は無いか探しました。

 

当時からAIG損保は法人会の福利厚生制度商品を取り扱っていて、法人会の会員企業向けの営業も盛んに行なわれていました。特に法人会の中でも保険加入を勧める立場にある「厚生委員長」に加入していただくことは誰もが望んだことでしたが、その厚生委員長を務める会社の保険担当者M氏はものすごく“デキる”人で、これまで落とせた代理店が無かったのです。私はそこに目をつけて、挑戦することにしたのです。

初めは、「厚生委員長様にご挨拶を…」と電話をかけたり訪問したり、で断られる毎日でしたが、朝に昼に夕に何度もアタックするうちに可哀そうだと思ってくれたのか、受付の女性が「〇時頃なら社長がいると思いますよ」と教えてくれました。そして、その時間に電話をして、「社長様がいらっしゃるとお聞きしましたのでお電話いたしました」と告げると、なんと!奇跡的につないでくだったのです。ようやく出て来た社長の声は決してウェルカムではありませんでしたが、「担当はM君だから、彼に電話するように」と言って電話が切れました。M氏にアプローチする許可がもらえた!と心の中でガッツポーズをしました。

 

それからはM氏とのアポイント勝負です。電話を掛けても掛けても「忙しい」「何の用か?」とけんもほろろでしたが、「社長から承諾をいただいています」「平日がお忙しいようなら土曜日ではいかがでしょうか?」とねばってようやくアポイントに成功しました。その会社は日・月休みで土曜日は普通に出勤されていたのですが、平日に比べて来客数も少ないだろうと思ったし、第一、土曜日に営業に来る保険セールスは私が初めてだろうと思ったからです。

 

案の定、訪問してみると会社はわりと静かで、ゆったりとした応接室で対応してくださいました。“デキる”と噂のM氏ですから、心を開いてくださるまでに少し時間はかかりましたが、何とか見積り提案の許可をもらうところまで辿り着きました。ずっと平行線だった会話が一変したきっかけは、私が持っているCFP資格に興味を持ってくださったことです。

 

「吉澤さん、CFP持っているんですね。資産運用など個人的に相談したいこともありますのでまた来てください」

 

と言っていただいたことから、急速に距離が縮んでいきました。大変な思いをして取ったCFP資格、いや~本当に頑張って良かった!心からそう思いました。

 

それ以降、忙しいM氏と毎回必ず会えたのは、次回の面談日時を決めてから帰ったからです。後でM氏に聞いた話ですが、「吉澤さんが手帳を取り出すと恐怖でしたよ。なんか逃げられない感じがしました」…そんな風に思っていたそうです。必死でしたからね…私。

 

そして最終社長決裁も下りてめでたく契約に至ったのが入社から2カ月半後。研修終了後わずか半月です。初契約が年間保険料160万円という快挙で、AIGの支店の中でも「期待の大型新人」と持ち上げてもらったものです。この契約があったからその後の辛い営業活動も頑張れたし、法人会という団体で次々に契約が取れたのもここのK社長のおかげです。法人会の会合で初めてK社長にお会いした時に、「M君を落としたのは君が初めてだ。大したもんだな。」と言ってくださいました。その後、この会社は年々業績を伸ばしていかれ、保険料はここ1社だけで500万円を超えるほどになりました。

 

この会社とは今でも交流があり、訪問するたびに社長室で色々な話を聞かせてもらっています。このK社長に私の成長ぶりを褒めてもらえることはとてもありがたく、励みになっています。

 

 

3.「優良顧客の連鎖を生む」
   営業マンなら誰もがあこがれる紹介営業法!
・1人から30人の紹介を引き出した「ご紹介状作戦」

1社目の契約を無事に終えた私は次の契約に向かって走り出しましたが、最初にうまくいくと、次も同じように…と期待してしまうのは自分だけじゃなく周囲も同じ。周りからの期待は、初めは嬉しいものですが、次第に負担に感じるようになり、大きなプレッシャーになります。おかしなもので、普通にしていればできるはずの証券回収も思うようにできなくなり、段々と焦りが表情や言葉に表れるようになるものです。焦っている時の営業マンは、心理的に追い込まれて、「契約なら何でも良いや…」という気持ちになってしまう、という経験をしたのもこの時期です。例えば…

 

「自動車保険を他社で断られたのでおたくで入りたい」

「とにかく急いで医療保険に入りたい」

 

といったお客様から電話が掛かって来た時、普段なら怪しいと思うはずです。何か他社で断られる原因があるはず、急いで保険に加入しなければならない理由があるはず、と冷静に考えれば想像がつくことですが、月末の締め切りギリギリにこのような案件が出てくると、つい1件くらいなら…と考えてしまうのが人間です。

 

ただ、当然契約は一人で完結できないので上司に相談したところ、丁重にお断りするように言われました。その上司も、自分が新人だった頃に同じような経験があり、実際に契約をしたことがあったけれど、翌月からすぐに保険料の引き落としができなくなり、電話をしても連絡がつかないとか保険料の集金にいったりとか、余計なことに時間を取られたことがあったそうです。良いお客様と良い関係を築くことがお互いのためになる、そう教えてくださいました。それ以来、相手のことをしっかりと見極める目が大事なんだと思うようになりました。

 

ただ、目先のグレーな案件を断ったのは良いけれど、今の状態では次が決まらない、どうしよう、と思った先に考えついたのが「ご紹介状作戦」でした。最初に大型契約をもらった会社のK社長は法人会の厚生委員長。その委員長の紹介状を持って法人会の会員企業を回ろうと思いました。最初は、「厚生委員長の会社でもご契約いただいたので…」というトークを考えていたのですが、そもそも会ってもらえない、面談のアポが取れないところでつまずきました。そこで、K社長にお願いして紹介状を書いてもらうことにしたのです。ただ、忙しい社長に丸投げしては申し訳ないので、紹介文を自分で考えて30枚ほど印刷して持参してみました。この会社ではその保険を非常に気に入ってくださっていましたし、法人会の活動そのものにも貢献できるし、社員にも喜んでもらえるものなんだということを改めて説明して、納得してもらって、紹介状の文章を見てもらいました。

 

あとは、ご紹介先のリストと、K社長の印鑑が欲しいです…というお願いでしたが、「印鑑を貸してあげるから、吉澤君、押してくれるかな?リストは後で送らせるから」という返事が返ってきました。わお!ありがとうございます!私は喜んで30枚全てに印鑑を押させていただきました。その後、その紹介状はまるで水戸黄門の印籠のように社長面談につながり、大いに成果を出すことができました。今思い出すと冗談みたいな日々でしたが、本当に一生懸命で楽しい毎日でした。

 

・紹介で250万円から1,000万円に発展! 
 大切なのは「お礼を忘れないこと」

紹介状訪問を続けていると、あることに気づきました。それは、経営者同士のライバル意識とか嫉妬心みたいなものが強烈にあるということです。紹介状を書いてくださったK社長のところはここ数年間で売上をすごく伸ばしている会社、一方、そうでもない会社も多いし、K社長の個性に反感を持つ方もいらっしゃいました。ただ、面白いのは、そんな風に思っているなら会わなきゃ良いじゃないかと思うけど、“いちおう”会う。その上で私に愚痴ってみる、そんな変わった社長も何人かいらっしゃいました。しかし、私にとってはまずは社長に会えることが目的なので、その後の商談がうまくいくかどうかは私の腕次第。ご紹介くださったK社長にはいつも御礼の電話を入れるようにしていました。

 

時には、K社長自らが同行してくださる先もあって、大変心強かった記憶があります。以前、私が一人で行っても全然相手にしてもらえなかった会社も、ちゃんと会って話を聞いてくれるのですから、こんなにありがたいことはありません。ある会社に行った時には、他社で契約している工場の火災保険の切り替えの提案でした。保険金額が30億を超え、保険料も250万円超えの案件なので、もちろん他社も狙っています。私も以前ご提案したのですが、全く土俵に上がれないまま引きさがりました。しかし、その日は違います。経営者としても大先輩のK社長が一緒なのでしっかりと話しを聞いてくださいました。結局、K社長は面談の間、終始私の横で居眠りしていらっしゃいましたが、それでもめでたく契約になりました。この会社は、私の提案を気に入って他社契約を全て切り替えてくださったおかげで、トータルの年間保険料は1,000万円近くまでになりました。そして、満足してくださった結果、また次の紹介につなげてくださいました。本当にありがたい連鎖です。

 

この「ご紹介状作戦」は他の団体の時にも使えましたので、実際に複数の団体で試してみました。同じように面談の確率は各段にあがりますが、K社長のように30人の名前をあげられる人は二度と表れませんでした。初っ端に良い人に巡り合えたんですね。ビギナーズラックっていうやつでしょうか。

 

・〇〇があるとお客様があなたを紹介しやすくなる!

 お客様から紹介をもらう時に重要なことは、「紹介しやすくしてあげる」ことです。何か見返りがある場合は別ですが、基本的にお客様が好意でやってくださるので、手間をかけさせず、且つ、そのお客様の信頼を損なうことが無いように配慮する必要があります。私の場合は、A4サイズで自己紹介シートを作成していました。顔写真、出身地、保有資格、得意分野、契約実績、仕事をする上で大切にしていること、趣味などが主な内容です。これがあることで、お客様が説明する手間が省け、気軽に紹介してくださいます。(ご紹介元のお客様が満足してくださっていることが大前提ですが…)

 

そして、その頃には前の職場で作成していた情報誌と同じようなものを、この会社でもつくり始めていたので、それも併せてお渡しするようにしました。名前は「ナビNEWS」、お客様の未来につながるヒントをお伝えしたいという想いを込めて、正しい方向を示す意味を表すナビゲーションから命名しました。この時、代理店には社長を含めて5名ほどが在籍。小さな会社でしたが、山陰地方では2番目の挙績を持つ大型代理店でした。しかし、私が入社した当時は、社長の契約がほとんどで、お客様も他の社員のことに関心を持ってくださっていませんでしたが、徐々に人数が増えだしたタイミングに、各自がパートを担当してみんなで協力してつくりあげるナビNEWSはお客様と私たちだけでなく、社員同士のつながりも強くしてくれたと思っています。毎月発行する前に、「次は何を載せる?美味しい店紹介とか?会社の地図を載せたらどうだろう?」といった具合に、中身を考えるのが楽しくて、毎月ワクワクしていたものです。この情報誌がお客様のところに届くと、立派な営業マンの代わりを務めてくれることは前職で立証済みでしたので、私も毎月書くのが楽しみでした。

 

こうした紹介ツールが充実してくると、「ご紹介をください」ということ自体の壁がどんどん低くなり、お客様が勝手に紹介してくれるというケースも生まれてくるのです。

 

 

4.業績に直結!営業マンのモチベーションを維持する方法3選
・会社が仕掛けるキャンペーンをうまく利用する

保険営業は基本、毎月新規契約を追いかける必要があります。ただ、損保は生保と違い、1年更新なので、継続してくだされば毎年手数料が入ります。その分、もちろん手続きが必要ですし、事故対応も加わってきますので契約数が増えていくと新規を追いかけるのは段々負担になってきます。しかし、継続しないお客様や途中で解約するお客様もいるので、常に新規契約を取っていかなければならないことに変わりありません。

 

そんな時に自分のモチベーションを維持する方法の一つに会社が用意してくれるキャンペーンがあります。一定の期間中に、最も多くの契約件数をあげた、契約金額が大きかったといった基準で競い合い、入賞すればご褒美がもらえる、というものです。社内で企画する場合もありますし、保険会社が用意してくれる場合もあります。私は入社してから3年目くらいまでは、ひたすらキャンペーン入賞を目標に頑張っていました。例えば、自動車保険の証券回収で入賞すると会社のロゴいりトイレットペーパー(?)がもらえるとか、医療保険の新規契約件数で入賞すると商品券がもらえるなど色々ありましたが、おかげさまでほとんどのキャンペーンに入賞することができました。大きいものになると生保の挙績1億円を3カ月連続とか、単月の新規契約保険料100万円超表彰などもありましたし、特に、入社翌年から3年間連続で新規契約100件超!中四国地区No1表彰は嬉しかったです。保険会社の支店長がわざわざ表彰に来てくださったほどで、家族にも自慢できる快挙でした。

 

これほどの結果を出すことができた理由を今さらながらに考えてみると、もちろん目標を明確に持っていたこともありますが、お客様にその目標を宣言し、共有していたことが大きかったのではないかと思います。「今月、これを達成したい」、「今年もこれに入賞したい」と、いつもお客様の前で口にしていましたから、私の周りには「頑張ってね」と応援してくれる人が多かったのだと思います。中には、「あと1件ならうちが協力してあげないといけないんじゃない?」と社長に言ってくださる奥様がいらっしゃったり、「じゃあ、社員の分を切り替えようか」と言ってくださる方がいたり。こういう方々のおかげで頑張り続けることができたと思っています。

 

子ども2人と借金を抱えている私にとって、こういったキャンペーンは非常に助かりました。入社3年目で全ての借金の返済を終えることができたのは、応援してくださったお客様と会社のおかげです。

 

・見積提出件数にこだわる 1/10/100の法則

キャンペーンの合間や、達成後などに少し気持ちが緩んでくると、それはすぐに数字になって表れます。毎日の食事や運動不足がそのまま体重に表れるのと同じで、自分の結果は自分の行動が生んでいるんですよね。

 

営業の結果も同じです。契約件数が伸びないな~と思った時、まずやるべきことは自分自身の行動を振り返ること。過去一週間、一カ月の活動量と活動内容を見てみることです。契約数が増えてくると、フォロー業務も発生するし、その分社内にいる時間が増えて活動量が圧倒的に少なくなっているケースがほとんどです。これはベテラン営業マンにも言えることですが、数字がある程度安定してくると、新規に割く時間が無意識に少なくなってしまうものです。当然、新規で訪問するよりも既存のお客様のところを訪問して新たな案件を持って帰る方が、信頼関係ができている分、時間も短くて済みますし、精神的にも楽です。そちらに流れてしまうのは当然のことなのですが、やはり新たなお客様に提案する力を常に磨き続けることは営業マンにとって非常に重要なことです。

 

私の場合、新人の頃は「新規訪問件数」を目標に歩いていましたが、少し慣れてくると、1カ月の見積り提案件数を目標にしました。そして、契約が取れるようになってきたら契約件数目標になります。この確率的な数字ですが、ざっくり110100くらいだと考えていました。訪問100件に対して、見積り10件、契約1件というイメージです。提案内容や実力によってもちろん異なりますが、だいたいの目安です。新人の頃は10件に1件見積りが出せないことも多いので、その分足で稼ぐしかありませんが、段々慣れてくると訪問件数が少なくてもある程度見積り提案までできる先ができてきます。いずれにしても、見積りを出していないのに契約になることは絶対にないので、新規の見積り提案件数にはこだわりを持っていました。ここの数と質を高めて行けば、安定的に契約を出すことができるのです。

 

毎日契約件数だけを見ていてもゼロの時は全く楽しくありませんが、ある程度新規の見積りが出せている時は動きがあって何だか楽しいものです。自分を楽しませてあげること、仕事を楽しむという感覚はモチベーションの維持にとても大事だと思っています。

 

・ノルマと捉えず、自分が売りたいもので目標を考える

世の中の多くの営業マンはノルマを嫌います。今、ネットで「営業」と検索すると、「ノルマがつらい、辞めたい」といった書き込みがたくさん出てきます。事実、私が勤めていた会社でも営業社員の入れ替わりが激しく、せっかく仕事を覚えた頃に辞めていく人や、中にはまだ研修中で営業活動の「え」の字も始まっていないのに、「自分にはできそうにないから…」と辞めていく社員もいました。確かに、相手が必要としない商品を無理矢理売りつけるような営業であれば長続きするはずもありませんが、保険は多くの人に必要とされている商品で、実際にほとんどの会社や個人は加入しています。それにもかかわらず、つらいと感じるのはなぜでしょうか?

 

きっと、商品のことを好きになっていないからだと思います。自分が販売する商品や会社のことを知りもしないで、ちょっと声をかけただけで断られたら「自分にはもう無理」と思ってしまうのはもったいない。一足飛びに好きになれなくても、まずは興味を持ってみる、しっかり勉強して理解してみることが大事だと思います。私も、これから力を入れて販売していきたいと思った商品について、徹底的に勉強しました。一番初めにやったことは、約款を家に持ち帰って読み込むこと。分からないところにふせんを付けて会社で教えてもらう…これを繰り返すことで、社内で一番商品に詳しくなりました。机の上に約款が並んでいる風景は他の営業マンから見て不思議に映ったみたいですが、素人感覚を忘れないうちにできるだけ早く、徹底してやりたいと思っていました。業界に長くいると専門用語に慣れてくるだろうし、感覚も「保険会社寄り」になってしまいます。それではお客様の気持ちがわからなくなってしまうと思ったからです。「お客様の代わりに勉強したんだ」「誰よりも知っているんだ」その自信は自然にお客様に伝わるものです。

 

当時、保険会社の人間も知らないことを知っていると評判になったこともありました。それも面白いでしょ。「売らされる」「ノルマ」と捉えずに、「自分が売りたいと思う商品」で勝負できる人間を目指してみてはいかがでしょうか。

 

5.学歴・職歴なしの主婦が、
  どうやって経営者の心をつかんだのか?
・相手が経営者であるからこそ本音でぶつかる!

ある時、火災保険の経費削減チラシを郵送したところ、資料請求のFAXが届いた会社がありました。そこは地元で有名なホテルを経営している会社です。心躍るような気持ちで訪問すると、社長と奥様が2人で待ってくださっていました。現在の加入状況をお聞きした上で、資料を請求してくださった理由を尋ねてみると、

 

「これまで加入していた保険代理店の担当者が変わったので、

 他でも良いと思ったから」

 

とのことでした。それならぜひうちで!ということで積極的に話を進めていくと、

途中ぐらいから社長の様子がオカシクなって…、

 

「それは前の代理店だったらこうだった」

「ここは前の契約ならこうだと思う」

「そこは前の契約に従って…」

 

と、前の契約に合わせたやり方を求めて来られました。

 

私がまだ経験が浅かったこともありますが、火災保険は他社にはマネできない独自の提案方法を確立していて絶対の自信を持っていたこともあり、ついつい…

 

「それなら前の代理店で継続なされば良いじゃないですか!」

 

と言って帰ってしまったことがあります。

 

帰り道、運転しながら少し冷静になっても何だか納得できず、モヤモヤしたまま会社に帰り着きました。上司に何と報告しようかと悩みながらポツリポツリ話し始めたところにさっきの社長の奥様から電話が。

「さっきはごめんなさいね。主人は保険のことが全くわかっていないから、貴女に色々質問されても正直わからなかったと思うの。しっかりした方だからおたくで頼みたいと言っているので、ご足労をおかけしますが、また来ていただけないかしら?」

 

とおっしゃったのです。もうビックリです!もちろん喜んでご訪問して、ご契約いただきました。その会社もその後長いお付き合いになりました。

 

また、別のお客様でこんなこともありました。

 

「社長が入っている生命保険を見直したい」

という電話が入り、その会社に訪問すると社長が待っていてくださいました。

 

今の保険会社に相談しても、「もったいないから解約しない方が良い」とか、「少し減額して続けた方が良い」とか言って、解約に応じてもらえないというご相談でした。そもそも、本当に不要な保険なら、直接保険会社に電話をして解約の書類を取り寄せられてはいかがですか?と言ったところ、

 

「勝手に解約したら、その担当者がどう思うと思う?そんなことできない」

とおっしゃったのです。おっしゃっていることの意味が理解できなかったので、ここでもまた同じように、

 

「それなら今のまま継続なされば良いじゃないですか!」

 

と言って帰ってしまったのです。あちゃ~またやってしまった…でも、何が言いたいのかさっぱり理解できない、そう思って会社に帰ると、今度は社長ご本人から電話が。

 

「さっきはすみません。本当は私の退職金用の保険なので、解約どころか追加で加入したいのですが、ここ数年赤字が続いているので株主にどう説明したら良いか分からない。保険の担当者に聞いても、全く相談にのってくれないし。その対応が気に入らなかったから解約しようと思ったんです。」

 

とおっしゃったのです。

それなら!ということで、再度訪問し、適正な退職金の計算をして、株主説明用の資料を作成してあげたところ、安心して追加契約をしてくださいました。

お客様は時々不思議なことをおっしゃることがありますが、その根底にはその方なりの考えがあるのだな、と理解して、最初のヒアリングを徹底するようになってからはこのようなアクシデントはなくなりました。相手が経営者だと思うと、つい下手に出て言いなりになりがちですが、大事な時には本音でぶつかることも必要だと思ったできごとです。ホント、営業って面白いですね。

 

・自分の知識をひけらかさない、“聴く”ことで生まれる信頼関係

社長と直接面談できるようになると、保険の提案に伺っているにも関わらず様々な勉強をさせていただく機会が増えてきます。特に創業社長の場合、設立当初の苦労話や、今までの紆余曲折ストーリー、そして成功体験等々、もしも私が主婦をしていたら一生聞くことがなかっただろう貴重な話をたくさん聞かせていただくことができます。これは法人営業をやって来て本当に良かったな~と思うことの大きな一つです。

 

法人営業を始めた頃は、社長の話しについていけるように、と必死に経営の勉強をしたりゴルフの本を買って読んでみたりしましたが、途中から、そのような中途半端な知識は必要ないことに気づきました。トータル17年間、保険営業の実務に携わった経験を活かしてコンサルティング業に就いている今なら別ですが、当時の私にそのような会話を求める社長はほとんどいませんでした。むしろ、社内や取引先、もしかすると家族にも言えないような愚痴や人知れず抱えている悩みを聞いてくれる人を求めていたように思います。

 

私は、営業を始めた時から大学ノートに活動結果を記録する習慣がありましたが、当初は訪問件数や見積り件数が中心の記録だったものが、途中から、面談した社長が何を言っていたか?どうしたい、どうなりたい、と言っていたか、何に悩んでいると言っていたか…それをひたすら書き込むようになっていました。もちろん社長の目の前で書くわけにはいかなかったので、1時間、2時間の面談の間は全身全霊で聴くことに集中し、終わって車に乗ったら忘れないうちに書き留める…その繰り返しでした。

 

次回お会いする時には前の面談記録をチェックしてから訪問するので、話は更に深まっていって、時には、話している間に社長の頭が整理され、「スッキリしたよ」と言ってもらえることもありました。そういったことを繰り返すうちに、不思議と社長の方からご連絡をいただけるようになっていったのです。そのような信頼関係ができると、社長の話を聞く時間が9割:保険の更新手続き10分みたいなパターンができ上っていったのでした。

 

いくつになっても、どんな立場になっても、やっぱり自分の話しを聞いてくれる人って大事なんですね。特に社長業をやっていると、会社のグチはなかなか言える相手がいないんだということを学ばせていただきました。

 

・経営者の悩みに寄り添い、痒い所に手が届くホスピタリティ精神

社長と仲良しになってくると、意外な相談がきたりします。それは、社員の教育や後継者の育成について。私がコンサル会社を立ち上げようと思ったきっかけはそこで、私を助けてくださったたくさんの社長の力になるためにはそういった幅広い支援ができる力をつけることが求められているんだな~と感じたのが今から8年前。でも、すぐには上手くいくはずもありません。当時は自分にできる範囲で協力していました。例えば、社員との面談。社長や管理者に上がってこない率直な考えや意見を聞いて欲しいと言われて、1日かけて15名の社員と面談した経験があります。その会社の社員さんたちにとって、外部の人間が会社の問題点を聞いてくれるという取り組みは初めてだったらしく、「本音で話してくれるかな~?」と不安に思っていましたが、思った以上に色々と話してくださったために、全員終わったのは就業時間を大幅に超える夕方1830分。さすがの私もヘロヘロでした。でもこのことをきっかけに、社内のコミュニケーションに問題があることがわかり、様々な手を打つことができたと大変喜んでいただきました。

 

また、ある会社では、後継者候補の教育に頭を抱えていらっしゃって、何とか外に出て教育の機会を…と考えていらっしゃったようですが、本人は「現場が忙しい」の一点張り。なかなか参加しようとしないそうです。多分、人見知りな性格なのでそういった研修に参加するのが苦手なんだろうな…と思った私は、「私が一緒に参加してきましょうか?」とご提案。2度ほど参加することになりました。すると、日常の環境から離れて、プレッシャーから解放されたのか、普段は見せない弱気な顔を見せたり、一方で、社長に対する感謝の気持ちを素直に表現したりと、会社にいたら絶対に出せない自分自身の感情に触れている姿を見て、感動しました。その様子をこっそり社長に電話で報告しましたが、涙で声が震え、何を言っているのかさっぱりわからなかったと後で言われました。(でも、気持ちは十分に伝わりましたよ、とおっしゃってくださいました)

 

そんな経験をさせて頂けたのも、元々は1件の保険契約からです。この会社とは、その後のコンサルティング契約にもつながり、今も良いお付き合いをさせて頂いています。

 

6.自分の人生にムダはない!
  苦労も失敗も自分の経験は必ず活きる!
・テキ屋の経験が教えてくれた“売る力”

離婚する前、本当にお金に困った時に、少しだけテキ屋の仕事をしたことがあります。夏祭りの時に屋台でお饅頭やおもちゃを売っている“あの”テキ屋さんです。まさか自分がこんな仕事をするとは思いませんでしたが、生活のために仕方なくやっていたのですが、そこで販売する商品選びや仕入れも任されたので、思い切って他の人が売っていない「アクセサリー」を販売してみることにしました。独身時代、宝石店で働いた経験があり、アクセサリーには興味があったし、(もちろんテキ屋で売るのは300円程度のおもちゃですが…)いなかの子どもたち(女の子)に受けるのではないかと思いました。狙いは的中で、連日行列ができる繁盛ぶり。周りの飲食系のお店が天候や時間帯で売上が左右されるのとは対照に、開店から閉店までコンスタントにお客様が来てくださって、安定的に売上を上げることができました。今となっては貴重な経験となりましたが、正直、二度とやりたくない仕事です。(笑)

 

ただ、この時に経験した、「限られた条件下でより売上を上げるためには?と必死に考えたこと」は、今の私の肥やしになっていることは間違いないと思います。限られた時間、限られたスペース、天候や条件は他の店舗も同じ…「その場所で、いかに売れる商品を選ぶか、いかにお客様に良い対応ができるか」が全てであり、売上が決まるのです。条件がシンプルであるほど、自分自身の実力が問われますものね。

 

保険営業の世界も同じです。保険商品そのものは各社大きな違いは無く、保険料も大差ありません。でも保険の種類がどんどん増えてその違いがお客様にはわかりにくい。あとはその営業マンの対応の良し悪しが判断材料になる…ということは大いにあり得ることです。商品そのものの魅力ももちろん大切ですが、それ以外の自分の魅力や経験の活かし方が実はとても大事なんですよ。

 

・シングルマザーほど効率的な仕事をする

営業の仕事をしていると、急な事故対応や締め切りギリギリの契約手続き、また、県外での試験や研修会など、どうしても帰る時間が遅くなったり家を空ける機会が多くなったりします。小さな子どもを抱えて働く世の中の母親にとってはなかなか辛い仕事ですが、一方で、限られた時間内で一生懸命仕事をしようとするので、効率的な仕事をするとも言えるでしょう。

 

私自身、2週間缶詰の大阪研修が2カ月間続いた時にはまだ息子は小さく、両親にお願いして家を空けましたが、まだまだ母親がいないと寂しい年頃。金曜日の研修が終わると最終の電車に飛び乗って自宅に帰っていました。土日を子どもたちと過ごして、月曜日の始発で大阪へ…毎週月曜日の朝一に試験があるので、その勉強は移動中の電車の中で。そんな生活を続けていました。また、度々挑戦していた資格試験の前一週間は、とにかく勉強時間を捻出する必要がありますが、ゆっくりと部屋にこもって…ということが難しかったため、常にテキストを持ち歩いて、お昼休みやちょっとした待ち時間、赤信号の合間にも一行でも読んで覚えた記憶があります。

 

仕事も、なるべく早く家に帰るために、事務所に帰ってからの日報書きは面談後すぐに記入したり、テレアポも人よりも少し早く出社して朝のうちに終わらせたり、といった工夫をしていました。当時、建設業にも積極的にアプローチしていて、社長が早くから現場に向かってしまわれる会社が多かったので、この朝一のテレアポは大変有効でした。

 

時間やお金はたくさんあったに越したことはないですが、無いなら無いなりに工夫できるし、無いからこそ出てくる知恵もあります。時間は誰にも平等に与えられているものですものね。

 

・「お母さんの口ぐせはラッキー!」
  娘の結婚式で感じた子どもたちへの感謝

小学校5年生で親の離婚を経験させてしまった娘は、10歳離れた弟が生まれるまで一人娘として周りの大人たちからも大変可愛がられて、私も大切に育ててきましたが、息子が生まれた年に離婚、私の実家に住むことになりました。その後、大人たちが生まれたばかりの弟のことに手を取られてしまってとても寂しい想いをさせてしまったんじゃないかと今でも反省しています。その娘が22歳で結婚した時にくれた手紙を今でも大切にしまってあります。その手紙には、

 

「お母さんは一人で私や弟をここまで育ててくれてとても大変だったと思うのに、いつも『ラッキー!』が口ぐせで、どんな時も私たちを明るく励まして応援してくれてありがとう。お母さんの子どもで良かった。」

 

というメッセージが書かれていて、これを結婚式の最後に読まれた時には、思わず号泣してしまいました。

 

つらいことが多かった私の人生ですが、その度に「これは新たなチャンスだ」「私が成長できる良いきっかけなんだ」「これってラッキー!」と、自分に言い聞かせてここまできましたが、子どもたちはそれを信じて、頼りにしてくれて、本当に素直に成長してくれました。私の宝物です。

 

どん底だった私の人生を明るく楽しいものにしてくれた「営業」という仕事。決して平たんな道のりではありませんでしたが、この仕事があったからこそ今の自分があると思っています。私や子どもたちを支えてくれたたくさんの方に感謝の気持ちを伝えたい、そして、一人でも多くの人に営業の楽しさ、醍醐味を伝えたい、そう思っています。

 

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